【考察】もののけ姫の謎「なぜシシ神はすべての命を奪おうとしたのか」
10月26日に金曜ロードショーで『もののけ姫』が公開された。
人間ともののけの対立を描く作品であるが、簡潔な勧善懲悪の作品
ではないため、観終わってもモヤモヤする人が多い。そんなジブリでも
謎の多い今作の考察をしてみよう。
もののけ姫の概要および、ネタばれ
中世の日本を舞台に、まだ神が身近だったころの人間と神の
対立を描いた作品。蝦夷の村に住むアシタカは、村を襲った
タタリ神から呪いを受ける。
アシタカは呪いを解く方法を求めて、猪の神が来たとされる
西の地へ旅立つことになる。
※以下はネタばれ
西の地を目指す途中、神々が昔の姿のままでいる
シシ神の森のことを聞く
↓
製鉄所であるタタラ場でエボシに会う。タタラ場では
鉄砲でもののけを狩っていた。
↓
エボシを恨む、サンが襲撃に来る。二者の争いを止めて、
シシ神の森へ。シシ神は「あがき苦しみ生きろ」と伝える。
↓
エボシはシシ神を狙い、首を狩ることに成功。しかし、シシ神
は死を招くディダラボッチになる。アシタカは首を取り返そうと
誓う
↓
首を取り返す。シシ神はアシタカの呪いを解く。サンは
シシ神は死んでしまったと悔いるが、シシ神は生命そのものだ。
とアシタカに説かれる
↓
サンは森に帰り、アシタカは人と森の間で生きることを決める
と、いう流れになっている。
宮崎駿監督の狙い
荒ぶる神々と人間との争いにハッピーエンドはない。しかし、憎悪と
殺戮の中にあっても、生きるに値することはある。素晴らしい出会いや
美しいものは存在する
誰が敵なのか、という無意味な問いについて
善と悪を明確に分けていない点が、「もののけ姫」を観てもモヤモヤする
理由だと思います。争いの大半は、人対もののけと簡単に区分けのできない
ものばかり。
わざと敵を分かりにくくしています。現実の争いもそういう構図になっている。
絶対的な悪などいなくて、両者がどうしようもない理由で争っている。
争いは簡単には解決できない。ということがこの映画を通して
何度も語られます。
シシ神は命そのもので、自然である
シシ神は神々の頂点と呼ばれているが、劇中ではとくにその理由は語られない。
謎の多いキャラである。アシタカは、彼を「命そのもの」と称した。
命を与え、救う存在であると同時に無残に命を奪う。
人間がコントロールできるものではなく、ただそこにあるもの。
特徴的なのはもののけに対しても、そのあり方を変えない点である。
人間の味方でも、もののけの味方でもない。ただ森の守り神
であることから、自然は誰のものでもないことを語る。
なぜシシ神はすべての命を奪うのか
映画終盤に、シシ神は触れるもの全ての命を奪います。
森を破壊した人間には天罰だと取れますが、敬っていた森の
もののけに対しても破壊を行います。
ラストシーンで、アシタカとサンは生きていく環境は違えど
共生していく道を選びます。
シシ神はどちらか一方が生きるのではなく、すでにあるのだから
共生していかなくてはいけないと伝えたかったのではなかろうか。
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